理不尽な思い出「はぐれる」編

高校受験のとき、滑り止めである私立高校の特待を受験した。特待は親子面接があるので母がついてきた。普通の受験の子たちと一緒に電車にのってゾロゾロ行った。

校門のところで、「試験が終わったらここで待ち合わせ」ということになり、受験後、そこで待つ。5科目と面接の後に、である。雪が降っていて寒かった。誰も来ないので、暖房のある教室でしばらく過ごし、また校門のところで待つ。

最初に待った時点から1時間くらい待っても誰も来ない。ついに母が「帰ろうよ」と言ったが、僕が「ここで待ち合わせしてるんだからダメだよ」としばらく頑張った。

しかし余りにも誰も来ないし馬鹿らしくなってきたので、「駅から学校に電話しよう」と駅まで歩き、電話がみつからないので地元の駅まで電車に乗って、やはり電話がみつからないので、駅からちょっと行った店先の公衆電話から学校に電話。

学年主任の先生が出て、どう言ったかな・・・
「受験終わってはぐれたので帰っていいですか?」
「今どこにる?」
「○○○」
「なんで勝手に行動してんだよ」と言われ「帰って良し!」

翌日、学校で別に怒られはしなかったが、みんなの前で「みんで受験に行ったのに勝手に帰った者がいる。そういうことしないように」と言われた。

教師は僕の話を全く聞き取りもせず、「勝手に帰った」とだけ言った。え?僕が悪いの?待ち合わせ場所に来なかったみんなは?

友達に言ったら、特待の受験は早く終わったのだと言う(同じ5教科で特待は面接もあったのにおかしな話だと思うが)。

今にして思えば、僕が別行動で特待の受験してるのに待ち合わせの場所を勝手に変更した頭のおかしい子がいたのだと思う。

後日、「特待と公立両方受かったらどっち行く?」と担任の先生にきかれ、何も考えないで「公立」と答えた。「そうかそうか、近いもんな」でその話は終わり。今にして思えば、高校から「両方受かったら来てくれるのか」ときかれたのかも知れない。

結局、両方受かって公立校に進学した。

その年の6月頃だったか、中学の同級生だったK君が事故で亡くなった。僕はK君含め6人くらいでいつも固まってたので、そのメンバ(つまり5人)で集まって「お通夜のときは何時に○○の前に集まろう」という話になって解散した。

翌日、「喪章」というものを買いに行って「どこにつけるんですか?」(子供だったし大人でも知らん人は知らんと思う)、その翌日だっただろうか。待ち合わせの場所に行ったが、誰も来ない。はて?何で?仕方ないから歩いて向かい、やはり誰もいない。立っててもしょうがないので中に入ってお経を聞いていた。

何十分か経って外に出たら、みんな来ていて
A「どこ行ってたんだよ、みんな探してたんだぞ」
N「行方不明になったって大騒ぎ」などと言うので、
僕「中にいたし、待ち合わせに誰も来なかったし」と言うと
A「待ち合わせの時間変わったんだよ、Nが連絡・・・」
A「おいN、連絡した?」
N「してない」
A→N「お前が悪いんじゃねーか」

中学のとき一緒にいても、N君個人とはそんなに仲が良かったわけではなく、気まずかったのかも知れない。それにしても、必須の連絡を怠るとは無責任である。

以上、携帯電話がなかった時代のお話。

ついでに、中学のとき、TさんがK君に唐突に「K、嫌い、死んじゃえー」と言い出し、みんな「え???」となったことがあって、そのK君が卒業してほどなく亡くなったというのは偶然であろうか。おそらくTさんに聞いても覚えてないであろう。A君とは一度その話をしたような気もする。

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