スポーツマンシップと何か

スポーツにおいては、スポーツマンシップは大事だと思います。

スポーツマンシップは、スポーツのルールを遵守してゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的な姿勢をいうものである。 スポーツマンシップとは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。(Wikipedia)

ルールを遵守ならN氏が正しいじゃないか、と思われるかも知れませんが、別に「あなた時計を止めていませんよ」と教えてあげることはルール違反ではないので、そうやって負けてもルールを遵守という観点からは問題ありません。

後半の相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識についてはどうでしょうか。「N氏の姿勢にそれがあったでしょうか?」と疑義を突き付けたのがM氏や私であり、それが間違っているとは考えておりません。

マラソンで考えてみると、例えばゴール前で競り合っていて、ゴールの50m手前でAさんとBさんの足が接触して、足を引っかけるような形でBさんが転んだ場合、Aさんが知らんふりして先にゴールしたら、必ず批判されます。ルール上問題はないはずですが、なぜでしょうか。

反対に、Aさんが止まってBさんを助け起こして、その結果Bさんが勝ったらどうなるでしょうか。Aさんは称賛され、Bさんはもしかしたら非難されるのではないでしょうか。

これがスポーツマンシップの例として適切かどうかはあまり自信はありませんが、スポーツとはルールを守って相手に勝てば何でもいいんだという浅薄なものではなく、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識がなければ、まぁ「スポーツマンシップの欠如」なのですが、ゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的な姿勢に問題があるということになるのだろう、と思います。

M氏とN氏が争うことになってしまったのは、まさにそこで、ゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的な姿勢について互いに相手がおかしいとぶつかり合ってしまったように見えます。

M氏が「小さなルール違反」と言ってしまったのは、長い文章の中での「言葉のあや」だと思います。ルールと言っても、ゲームのルール競技上のルールがあります。「最終的に石の数が多かった方が勝ち」はゲームのルール、「時間切れになったら負け」は競技上のルールです。

ゲームのルールで勝っても競技上のルール(時間切れ等)で負けになるというのは、長い歴史の中で沢山起こってきたことですが、それは余り好ましいことではないというのは、ほぼ全員の共通認識ではないでしょうか。M氏が仰ったのはそういうことだと思います。私はそれが自然な考えだと思ったのですが、色んな考えの人がいるので、「ほぼ全員の共通認識」というわけでもなかったのかも知れません。

私自身、最終手を打った後にアナログ時計のボタンを押したら時間切れになったことがあります(負けになりました)。競技を有限の時間で終わらせるための時間切れルールですから、それはそういうものなのですが、相手は後味が悪かったかも知れません。

それはそういうものというのは慣れが必要というか慣れてしまうもので、「普通は」時間切れで勝っても内容で負けてたら嬉しくないんじゃないかな、少なくとも最初はそうだった気がするな、と思いますが、長く競技をしていると、時間切れは負けだなんて当たり前じゃないかという考えになり、相手を時間切れに追い込むことも勝ちだという考えになると思います(私だけでしょうか)。

何と言うか、ピュアな心を忘れているというのか、「初心忘るべからず」という言葉に反しているような気もします。別に反してもルール違反でも違法でもありませんが、その延長線上に・・・ということなのだろうな、と思います。

N氏も別に悪い人ではないし、同じ競技をしている仲間を思いやる心もあります(だから人望も結構あります)。文字のみのコミュニケーションで表情も分からず「言葉のあや」も通じず、不幸にして互いにニュアンスを誤解することもあります。お互いに、決して相手が悪い人でないことは分かっているはずなのですから、きっと和解できると思います。

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