人とオセロをする楽しさと、棋譜は宝物という考え方

私は、若い頃は、『負けるのは「恥」』とか、『自分のレベルの低い棋譜を公開するのは「恥」』という気持ちもありました。でも、それは、それはそう思う必要はなかったのだと思います。

そんなことより、負けた試合・公開した棋譜には相手がいて、自分がミスしたら相手がちゃんと咎めて来たりした記録がそこにあって、それはとても価値があるものです。

私はオセロをコンピュータと対局もしますが、それは「練習」「研究」であって、やっぱり、人とプレイすることが「本番」という意識があります。自分が考えて打つ、それに対して相手も考えてこう打つ。それが楽しい。「オセロを分かってる」人と打つのが楽しい。

棋譜はそれの大事な記録です。「お互いが何を考えて打ったのか」が文字で書かれていなくても、「ああ、そういうことね」と分かる(分かったような気持ちになるだけかも知れませんが)記録がそこにあります。

そういう視点に立つと、ブログで棋譜の氏名を全部公開したり、棋譜集を作って配るというのは自然なことだと思います。その瞬間を残す「宝物」という感覚。昔棋譜集を作って売ってた方は別に小銭稼ぎが目的ではなく「宝物」を作って残したかったのだと思いますし、別の方の「棋譜はみんなの財産」(=「宝物」)というのも同じ考えでしょう。

ただ、ブログに相手の氏名を書くことは、以前Xでアンケートを取ったところ賛否があって、自分の失敗を相手に事細かに書かれて解説されたりするというのは「恥」と思うかも知れません。それは自然な感情だと思いますし、一歩間違えば「手」でなく「人」に言及して誹謗中傷になってしまうこともあるかも知れませんよね。

その辺は実際に問題になったケースがあるのかどうか知らないのですが、純粋に試合内容の話をする分には構わないのではないかなぁ、と思いつつ、配慮して相手の名前は書いていないのが現状です。

あと、自分の手が世界に公開されると研究されて勝ちにくくなってしまうのでは?という論点もあって(高レベル界隈限定?)、日本のトップレベルの選手の試合の棋譜集は、何年か他の棋譜集・データベースへの収録を禁止!というのも過去にありました。トップレベルの選手の棋譜はやはり価値が高く、「販売」されたものでもあるので、おかしなことではないと思います。

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